今を生き抜く社会人の皆さん、日々の暮らしの中に愛は足りていますか?
殺伐とした社会の荒波の中にいる人々は声を大にして 足りてない と言うかもしれません。
とは言いつつも愛が足りてるか足りてないかってどうやって判断すれば良いのでしょうか?
この記事では、単純にスキンシップの時間 = 愛情の量としてみましょう。
子育てすると考えさせられる、スキンシップという最強の愛情表現について考えていきます。
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この世に生を受け生まれ出た時からスキンシップは始まります。
(もしかしたら母親の中にいる頃からスキンシップが始まっててると考えても良いかもしれませんが。)
幼児期の間は特に母親とのスキンシップは大切なコミュニケーションで、小学校に入るくらいまでずっと続いていくのだと思います。
うちの5歳の娘は幸いにもまだ父親である私にくっついてきますし、抱っこやおんぶをせがまれます。
これがあると子離れ出来ていない私は子供に愛されていると実感します。
5歳ともなると結構しっかり会話もできるのですが、愛情表現という意味でスキンシップというコミュニケーションには遠く及びません。
無償の愛とはただ抱きしめることなのかもしれません。
他にも、幼稚園ではお友達と手を繋ぐこともあるでしょうし、無意識のうちにスキンシップしてるのではないかと予想します。
友達とのスキンシップはこの後、小学生の間くらいまでは続くのかと考えます。
では、その後はどうなるでしょうか。
中学生くらいなってくると思春期も迎えますし、ヒトとしてのパーソナルスペースが形成されてきます。
中学生だと親ともベタベタ触れ合ったりしないでしょうから、他人とのスキンシップってかなり少なくなるのではないでしょうか。
つまり、人によっては1日の間に他人に触れることがない日が続くかもしれません。
パーソナルスペースが形成されると、その中に入って欲しくないと感じ始めでしょう。
他人のパーソナルスペースに押し入ったとして、傷つけるか傷つくかの可能性が高いことが段々と分かってくるのでそういうことを避けるようなるでしょう。
人によってはスキンシップが多い人もいるでしょう。
青春の1ページとして異性と手を繋ぐもよし、男同士で殴り合いの喧嘩をするもよし、良くも悪くもスキンシップって思い出に残る気がします。
まぁでも、親としては色々と心配になってくる時期でもあるので、中高生でスキンシップが多いことは一概に良いか悪いかは言えないと思います。
こんな感じで、中学生以降、高校・大学・社会人になるにつれて、スキンシップの多い少ないは人によって差がついてくると思います。
恋人などのパートナーがいない限り、人とのスキンシップが無くなってしまう気がします。
実際に、パートナーがいない方は、思い出してみてください。
最後に他人に触れたのはいつですか?
むろん、満員電車でおっさんに触れたのではなく異性と握手するようなスキンシップです。
もし多過ぎず少な過ぎず、適度なスキンシップがとれていると思える人は素晴らしいです。
一月以上とか、下手すると1年以上、全く他人と触れ合っていない方は慢性的なスキンシップ不足だと言えるかもしれません。
スキンシップ不足は、言い換えると愛情不足だと言えます。
具体的には表現できませんが、愛情不足症候群が出ていませんか?
なんだか満たされない気持ちがあるけどよく分からない。
リア充みたいにハッチャケてみたい気もするけど、ハッチャケ方が分からない。
人生で何が大切なのか分からなくなってきた。
ココロが潤いを求めている状態ですが、肌にもツヤがなくなっているかもしれません。
もし禁欲的で清純派な半生を過ごしてきたと感じた方は、余りに他人と触れ合っていないと逆に健全ではないと言えそうです。
愛情不足症候群のあなたに必要なのはスキンシップなり、心の触れ合いです。
自分の中だけで完結していたものを少しずつ変えて、ファッションでも趣味でも他人との触れ合える可能性を高めていきませんか?
仕事や恋愛って人生の大切な要素です。
今の仕事が嫌な人は貪欲に新しい仕事を求めて良いですし、今、愛情が足りてないと感じる方はもっと愛を求めて良いですよ。
愛がなくたって生きていけると言いますが、愛があるともっと豊かになりますよ。
結婚して子供が生まれると、独身時代には味わうことのできない経験ができて視野が広がります。
ですがそんな事より、子供がいて私が何より幸せに感じるのは無償の愛を捧げられることと子供に必要とされることです。
スキンシップがあればずっと幸せにいられると思います。
皆さんは、スキンシップが足りていますか?